高校も大学も中退し、あるときは引きこもり、あるときはギャンブルに狂いと、今、こういう仕事ができてるのが不思議なくらい運のいい男こと、社労士の川嶋です。
いきなり自分の言わなくてもいい経歴の公開から始まりましたが、こんなどうしようもない経歴の男にも母校と呼べる場所があります。それが河合塾COSMOの名古屋校。
河合塾COSMOというのは簡単に言うと、高認(高卒資格認定試験)の予備校です。ちなみに、わたしが通っていたときはまだ大検でしたが。
ただ、普通の予備校と違って、大検や高認を取得しようとする人、というのはわたしのように学校を途中で辞めてしまったり、あるいはそもそも不登校で学校に行っていなかったりする、ということで、授業内容も勉強一辺倒ではなく、ゼミ形式の授業やレクリエーションなども豊富にあり、一種のフリースクールのような性質を持っていました。
そんな河合塾COSMOの名古屋校が、令和3年度限りで閉校するという話が3月の半ば、元COSMO生の友人経由で突然わたしの元に舞い込んできたのです。
正直、ショックでした。
基本的に人間関係はドライ、お肌の調子も乾燥肌でカッサカサで通っているわたしですが、そんなわたしでも油断すると感情が高ぶってしまうくらい、その日は何も考えられないまま、いてもたってもいられず、その連絡を受けた翌日には、仕事をほっぽり出して、河合塾COSMOへと向かっていました。
0.1. 外的要因と内的要因
わたしが河合塾COSMOに通ってたのは2003年度と2004年度。なので、かれこれ20年近く経っているわけですが、幸運にも当時お世話になったスタッフの人がまだ残っていました。
で、河合塾COSMOにて、そのスタッフの人といろいろと話をしたのですが、思い出話に花を咲かせる一方で、河合塾COSMOの名古屋校がどうして今回、こうなってしまったのか、という話にもなりました。
わかりやすい要因(外的要因)としては大検が高認に変わったり、高校の授業料が無償化となったり、あるいは子どもの数自体の減少といったところで、河合塾COSMOのビジネスモデルが成り立たなくなっていたというのがあります。
一方で、話を聞いていて驚いたのが、自分が通っていた頃にあったイベントの数々、例えば、入塾式や、年度初めのオリエンテーション(という名目のお泊まり会)、クリスマス会や餅つき大会などが徐々になくなってしまっていたということでした。
また、20年経っているので当然と言えば当然ですが、当時いらっしゃった講師の方々の多くも辞められたり、お亡くなりになっていたりしました。
河合塾COSMOに限らず、河合塾の講師というと、一昔前までは学生運動時代の生き残りみたいな人がかなり多かったわけですが、そういう個性的な講師陣も年月と共に失われてしまったわけです。
わたしはCOSMO時代、勉強そっちのけでCOSMOのスタッフや仲間と一緒に山に登っていましたが、それがなかったら、こんなにも河合塾COSMOに思い入れすることもなかったと思います。
そう考えると、やっぱり人との出会いやイベントというのは、ときにそれが無駄なように思えても、人が生きていく上で、あるいは組織を維持する上で本当に大事なんだなあとしみじみと思ったり、また、河合塾COSMOの名古屋校が今回このような結果になったのも、そういった内的要因と決して無関係ではないのだろうなと思ったりしました。
今日のあとがき
今回の記事は、いつもの記事と毛色が違いますが、実はこれ、毎月、事務所のお客様宛に出している事務所新聞(その名も「THE 川嶋 TIMES」)からの転載でした。
事務所新聞自体は、お世辞もあるかもしれませんが、基本的には事務所のお客様から好評をいただいています。ただ、お客様にのみ公開、ということではっちゃけたことを書けるという性質もあるので、ネットでオープンにはしていません。
ただ、今回はいつも以上に評判が良かったことと、河合塾COSMOに対するなんとも言えないわたしの気持ちを表に出しておきたかったこともあり、例外的に転載の方をさせていただきました。
ちなみに、普段の新聞では、もうちょっと砕けたことを書いたり、社労士の事務所新聞らしく法改正等のお役立ち情報等を書いています。