日本社会は、書面での契約をあまり重視しない、あるいは書面での契約を結ぶ習慣があまりないこともあり、口頭での約束やいつの間にかできていたルールをより重視する傾向があります。
日本の職場は特にそれが顕著で、労働契約や就業規則に記載がない、あるいは記載はあるけどそれ以上に重視されている「労使慣行」というものが、多くの会社で成立しています。
今日はこの労使慣行の話。
この記事の目次
1. 労使慣行とは
遅刻早退分の賃金を控除していない、欠勤日の分も交通費を支払っている、出勤率が8割未満だけど年次有給休暇を付与しているなどなど、こうした取扱いも、最初は経営者や人事労務担当者の間違いから始まったものかもしれません。
しかし、こうした慣習・慣行に気付いていながら、長期間反復継続して続いていくと、それはいつの間にか「慣行」ではなく労働者の「権利」、労働契約に変わっていきます。
こうした、職場内での慣行を「労使慣行」と言います。
2. 労使慣行は労働契約の内容になりうる
労使慣行は、法律的に厳密に言うと民法92条の「事実たる慣習」にあたります。
事実たる慣習とは「一般社会に存在する慣習であるが、まだ法的拘束力までは認められていない程度の慣習」のことを言います。
自分で書いといてあれですが、ちょっと何言ってるかわかりづらい言い方ですね。
慣習とは要するに「社会規範」なので、事実たる慣習とは法的拘束力まではない「社会規範」となります。
なので、労使慣行とは明文化等はされていない「労使間での規範」と考えることができ、これが成立する場合、その労使慣行の内容は労働契約の内容となりうるわけです。
第92条
法令中の公の秩序に関しない規定と異なる慣習がある場合において、法律行為の当事者がその慣習による意思を有しているものと認められるときは、その慣習に従う。
3. 労使慣行が成立する場合の条件
では、労使慣行が成立するかどうか、しているかどうかについて、どのように判断すればいいのでしょうか。
労使慣行が成り立っているかどうかについて、過去の判例(商大八戸ノ里ドライビングスクール事件)では、以下の要件によって判断しています。
- 同種の行為又は事実が一定の範囲において長期間反復継続して行われていたか
- 労使双方が明示的にこれによることを排除・排斥していないか
- 当該慣行が労使双方の規範意識によって支えられているか
まず、1.についてですが、これはわかりやすいですね。
会社内のある慣行が一定の範囲、すなわち、会社内や部署内等で、長期間反復継続して行われていれば、それを労使慣行と呼ぶことは差し支えないことでしょう。
次に2.については、そうした慣行を労働者側も使用者側も廃止しようとしたり、見直そうとしていないということです。
最後の3.は労使双方、特に使用者側がある慣行を規範と認め、それを守ろうとしていたか、ということです。
ちょっとわかりにくいので例を挙げると、ある会社で、就業規則に反する何かしらの慣行が行われていたとします。そのことについて会社側は長年気付いておらず、あるときそれに気付き、すぐにその慣行を無くしました。この場合、会社はその慣行を規範として認めていなかったの明らかなわけですから「労使双方の規範意識によって支えられてい」たとはいえません。つまり、この例では、そのある慣行は、慣行と言うよりも単に間違った運用がずっと続いてたに過ぎないと考えることができます。
以上の3つを踏まえ、ある慣行が労使慣行(事実たる慣習)として認められる場合、それは例え就業規則や労働契約に記載がなかったとしても、労働契約の内容として判断されます。
3.1. 労使慣行が法律に違反している場合
上の3つの条件を満たしていたとしても、その慣行が法律に違反する場合は当然、労使慣行として認められることはありません。
例えば、時間外労働に対して時間外手当を支払わない、という労使慣行はどれほど長期間反復継続していたとしても、法律に違反しているため労使慣行として認められることはないわけです。
4. 労使慣行を是正したい場合
さて、会社として望ましくない労使慣行が成立している場合、会社としてはどういった対応を取ればいいのでしょうか。
労使慣行が成立している場合、それは労働契約となります。
そして、労働契約を変更する場合、労働者の同意が必要です。
就業規則の変更による労働契約の変更を行う場合、労働者の同意こそ不要ですが、その変更が労働者にとって不利益な変更となる場合、やはり労働者の同意が必要となってきます。
つまり、すでに成立している労使慣行を変更・是正するというのは、就業規則や労働契約を変更するのと同じ対応が必要となるわけです。